中国語を初めて知る方へ
疲れた、大変だったといいながら、それを喜んでやっているのは自分である。
いやなら家で寝ていればよい。
それが一番安楽なのだ。
けれども、それでは何のおもしろみもない一日を過ごすことになる。
同様に、何の苦しみもない人生は、生きたという実感に乏しい、案外つまらない人生かもしれない。
生きているという実感は、苦しみによってもたらされる。
大きな回り道をしてきた。
表題にした「人はなぜ学ぶのか」について考えたい。
「学び」を、この「自分のために苦しむことを選び、苦しむことを喜ぶ」という脈絡のなかでとらえることはできないか。
学ぶこと、わかることは喜びだという。
しかし、その喜びを裏打ちしているのは苦しさてはないかと思う。
苦しいことがたくさんあるからおもしろい。
「乗り越えるべき坂がたくさんあるからやめてしまおう」……人の心の動きは玄妙で、なかなかそうは動かない。
坂を乗り越えることをこの上ない喜びとすることの方が多い。
本当はそんなことをしなくても、ただ生きていくのには困らない。
それでも人間が容易に学ぶことをやめようとしないのは、学ぶことの苦しみ、喜びが、人間か生きるということの本質に根ざしたものであるからにちがいない。
わたしは高校で国語を教える教員だが、本当は、「なぜ学校で学ぶのか」「何のために国語を学ぶのか」の前に、この「人はなぜ学ぶのか」という問いに自分なりの答えを示すことができないといけないのだろう。
そういう思いでこの一文を書いた。
この「なぜ学ぶのか」という問いは、「なぜ生きるのか」「生きるとはどういうことか」という問いとつながっている。
それだけに、なかなかに手ごわくて、やすやすと攻略できるようなものではなく、いま現在の思いを書く以上のことができない。
ただ、学ぶ者はすべてこの問いに向かい合っているということはいってもよいかと思う。
かこんにちは。
と話したくてやって来たんですが、時間を取っていただけますか?やあ。
A君から聞いているよ。
授業中にわたしが話したことに、肺に落ちないことがあったんだってね。
ちょっとむっとしたとか……。
ええ、まあ、そうなんですが、ぼくはとけんかする気はありませんよ。
A君がおもしろかって、大げさないい方をしただけなんです。
と大いに語り合いたいということです。
そうか、少し安心したよ。
大いに話そうじゃないか。
ところで、話題は何だろもご存じのとおり、ぼくはイギリスで暮らした経験があります。
父の仕事の関係で、ものごころつく頃にはイギリスにいました。
それで、小学校を向こうで過ごしたために、英語と日本語の両方がしゃべれるバイリンガルなんです。
で、両方の言語のことが一応わかるつもりなんてすが、日本語についてはわからないことがいくつもあるのです。
とくに、のおっしゃったことのなかには、理解に苦しむことがたくさんあります。
なるほど、わたしがどんなことをいったんだろう?「日本語は美しい言葉だ」とか、「論理的な言語だ」とか、「難しい言葉ではない」とか……。
日本語について書かれた文章を題材とした授業のときのことだったと思いますが……。
そうだね、たしかにいったね。
もちろん覚えているよ。
失礼ないい方だとは思うんですが、ぼくには、がご自分の仕事を守るために、強引に事実をねじ曲げて、日本語を擁護されたような気がして……。
テレビを見ていても、よく「いやあ、本当に日本語は難しいですね」なんていっているじゃないですか。
日本人がそういっているんだから、日本語が難しいことは間違いないと思うのですが……。
日本語を教えるという自分の仕事のために、そういったというのはそうかもしれないな。
でも、無理に事実をねじ曲げていったつもりはないよ。
テレビで「難しい」といっている人は、自分がどういったらよいかわがらなかったり、いい間違えて笑われたりしたときに、それをごまかすために「日本語は難しい」といってないか。
本人の言語能力の問題があるような気がするな。
あとは、コミュニケーションに行き違いが生じて、相手と通じ合えなかったときに、「日本語は難しい」と嘆くこともあるね。
でも、その難しさは、日本語にかぎらずどんな言語にもいえることなんじゃないかな。
どんな言語にも一定の限界かおる。
自分が思ったとおりにすべてが相手に伝わるなんてありえないからね。
じゃあ、は、やはり日本語は難しくないとお考えですか?うん、ちょっとはぐらかすようだが、難しい言語もあれば易しい言語もあるとすると、その基準はどこにあるんだろう。
誰にとって難しいとか易しいとかいうことなんだろう。
君と違って、わたしには英語は難しい言語だよ。
わたしは中国語の勉強をつづけているが、音韻も意味も漢字からの連想が効く分、わたしには中国語の方が英語より少しは楽かな。
そうですか。
ぼくは、英語が一番合理的でわかりやすい言葉だから世界に広がっているのだと思うのですが……。
英語が一番合理的でわかりやすいから世界に普及しているというのは、間違いだと思うよ。
日本語とは違った面で、英語にもいろいろ難点はあるんじゃないかな。
じゃあ、英語が世界に普及した理由は何でしょう?世界でナンバーワンの力をもった国が、イギリス、アメリカとつづいて英語を使う国だったということが大きいと思うよ。
日本語が難しいかどうかに話を戻すね。
日本語が難しいとはじめにいい出しだのはだれなんだろう?そんなこと、考えたこともないですね。
じゃあ、いつから難しいという考えが広まったんだろう。
それも考えたことないです。
でも、ひょっとしたら、明治以降のことじゃないでわたしもその頃からなのではないかと思っている。
明治以降のことで、おそらく日本人が「難しい」といい出したわけではないだろうね。
外国人ですか?日本に関わりがあって、日本語と関わらざるをえなかった、たとえばお雇い外国人なんかが始まりなんじゃないかな。
それを当時の知識人たちが受け売りして、広めてしまった。
明治政府の欧化政策は、結果的にそれをあと押しした……。
ただし、一般の人が「日本語は難しい」を信念のようにするのは、第二次世界大戦後のことなんじゃないだろうか。
占領を経て、日本の学校で英語を教えるようになってからなんだと思う。
ちょっと待ってください。
今思い出したのですが、明治以前にも日本人は外国と交流をもっていますよ。
大陸との交流のことだね。
たしかに、奈良時代や平安時代などの日本人も、さかんに向こうの文化を取り入れようとしてきた。
しかし、漢語が日本語に一方的に圧倒的な影響を与えていくという状況のなかでは、大陸の人や当時の日本人が、両方の言語を比較して「日本語は難しい」ということは少なかったんじゃないかな。
たとえいったとしても、漢語を学んでいた当時の貴族がそれを一般民衆にまで伝え、それが今日まで伝わっているという可能性はさらに低いと思う。
たしかな証拠がある話ではなさそうですが、ここはのおっしゃっていることをひとまず信用しましょう。
明治以降の日本が近代化の道を歩みはじめた頃をスタートとして、とくに第二次世界大戦後はそれがひどくなったと。
日本は、二〇世紀の一〇〇年のうち、実に四分の三にあたる期間、英語を操る人の国と同盟してきた。
日英同盟と日米安保条約……。
これも推測の域を出ないが、おそらくは「日本語が難しい」というのは、とくに日本と関わり深かった英米人が、英語との比較のなかでいった言葉だろう。
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